蜘蛛之巣城

本丸 About Me ムーアにおまかせ! 偽版画WORLD CANDY CANDY BOOTLEGS!!

駄文DEPOT  16/05/0702/06/07
珠玉の駄文集 その三十五

イソノ武威 a.k.a. ITOMARU

スパルタ無双 02/06/07 

そんな訳で、先行上映で『300 スリーハンドレッド』を観てきたわけですが。
感想は、スパ3につづきビミョ〜。

絵作りに関しては、原作の決め絵の大半が再現されてるし、色彩設計もリンさんのカラリングを意識した良い仕事だしで、おおむね満足したのですが、脚本がなぁ。

*新兵のステリオス君関連のエピソード全カット(それじゃクライマックスの効果半減じゃん)。
*野営中に物語りするディリオスのシーンも、最初のを除いて全カット(それじゃ「我等が物語を伝えよ」の効果半減じゃん)。
*片腕立て伏せのシーンもなかったなぁ。
*スパルタ兵を見捨てて去っていく他都市の軍勢が口にする、自己正当化の捨てゼリフもなし(そんな連中と一緒に戦場を後にするディリオスの無念が伝わらん)。
*最後の決戦前のレオニダス王のセリフに微妙な変更があって、なんだか最近の米軍の対イラク戦争を正当化しているように聞こえて、ちょっと待てやコラ。
(原作では
「退かず、屈せず。それこそがスパルタの法なり。我等はその法に従い生き、戦い、死するのみ。恣意や私情で法を曲げる事、まかりならぬ。そは旧き者どもの愚行なり」って言ってるんですよ)
付記)原作では「民主主義なぞ、アテネのオカマどもに任せておけぃ!」みたいなこと言ってるし。

おまけに、エフィアルテスの身投げもなかった。あれをカットしちゃダメでしょう。

原作のレオニダス王って、「世界には二種類の人間しかいない。スパルタ兵とそれ以外だ」みたいな価値観の人なんですよ。
だからエフィアルテスに対しても、蔑みの感情ではなく、単に「ファランクス陣形に加われない者はスパルタ兵には数えられない」という事実を伝えただけ。
エフィアルテスにしてみれば、嘲笑されたほうがまだ救われたかも知れない。

スパルタ兵に憧れて憧れて、その一員になるのが自己実現だったエフィアルテスは、生きる理由を失って崖下に身を投げる。本来のスパルタの不具の赤子がそうされるはずだったように。

ところがスパルタ人として死ぬことすらかなわなかったエフィアルテスは、父母を呪いながらクセルクセスの元に身を寄せる。裏切りの報酬に何が欲しいか問われて「軍装を」と答えるエフィアルテスが哀れでねぇ・・・。
「盾を高く掲げよ」と命ずるレオニダスも、「余の前にひざまづけ」と命ずるクセルクセスも、どっちも残酷だ。

原作だと、エフィアルテスの裏切りを知ったレオニダス王は、ただ一言「永遠に生きよ」 と言うんだよね。
多分、「我等は勇者として永遠に語り継がれる。そなたは永遠に裏切り者として名を残すが良い」という意味かな。映画版のように感情をあらわにするのは、ちと違う。

で、こういう重要なシーンをカットしてまで付け加えたオリジナルシーンは、王妃ゴルゴのアレやコレやのドラマ。私的には、正直イラネ〜なんだけど。やっぱりヒロインの登場シーンがないと、ハリウッド映画的にダメな訳?
ハードボイルドな原作に、ハリウッド映画のメソッドを持ち込んだお陰で、なんだか物語の純度が下がってしまって残念無念。『シン・シティ』「どこを切ってもミラー節」だったもんだから、つい余分な期待をしてしまったけど、ロドリゲスやタラ兄貴のようなイカれた映画野郎以外が作れば、こんなモンなのかなぁ。

とりあえす、ミラー先生とリンさんのファンとして見逃せない映画ではありますが。
あと、無双シリーズのファンにもお勧め。アクションシーンがモロそんな感じ。

ああ、あと、半裸のマッチョ野郎がてんこ盛りなので、
そのスジのお兄さま方のデートムービーにいかがでしょう(笑)。


ミラー祭りと蜘蛛男 20/05/07

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*

ところで、アメリカンコミック界の梶原一騎、フランク・ミラー先生の『300』の邦訳が出ましたよ〜。
2,940円、これは安い!安いよっ!五年程前に原書買ったときは、3,500円以上したもん。
オールカラーで函付ハードカバーの邦訳が3,000円切ってるなんて、お買い得じゃん!
もう、シン・シティ コンプリートBOXと併せてミラー祭り状態っスよ!
(にしても、『300』のTVCMはめっちゃダサいわ)

ミラー先生の作画を見るとさ、「頭の中の3D映像を二次元に落として画面化する」というのが本当はどういうことか、よく解るよ。物体をカタマリでとらえてる絵なんだよね。リンさんのカラリング効果もあるけど、空間把握がすばらしい。

ミラー先生は、実話や既成キャラに神話性を持たせる語り口という点で、梶原一騎先生と通じるところがあると思う。ヒロインが女神として君臨するところとか(ミラー先生の場合、女性崇拝や嫌悪より、女性への畏怖・恐怖という感じがするけど)。マゾヒスティックなまでの主人公の痛めつけられ方とか。
尚、『300』は、比喩表現じゃなく
マジに我が子を千尋の谷底に蹴落とす話ですよ(笑←いや、笑い事じゃないんだが)。

ま、突っ込んだ話は映画の公開後にやるとして、前回言葉が足んなかったスパイダーマンの話。

今回の映画のクライマックスの、人質にとられたMJが落下していくシーンで、私は一瞬、「スパイディ、MJを助けられないかも。MJ死んじゃうかも」というスリルを感じたんですよね。
ハリウッドメジャーのエンタメヒーロー映画でそんな展開あるわけないし、第一MJは原作でピーターの妻におさまってるし、普通なら「お約束のサスペンスシーン」として観賞するべき場面なのに。

それはひとえに原作のせい。原作では、グリーンゴブリンにさらわれた恋人グウェンを、スパイダーマンはタッチの差で救えない。
若さゆえの増長がまねいたベン叔父さんの死と、(DCのスーパーマンのような)「物語世界における特権」に守られていないことを印象付けるグウェンの死によって、スパイダーマンは「とりかえしのつかない失敗を犯してしまう可能性を潜在的に持つヒーロー」と読者に認識されるようになったワケだ。

ピーター君は、たまたまスーパーパワーを持つようになってヒーローをやってるけど、中身はただの人。あなたや私のようにね。

未熟さゆえに他者を傷つけてしまうこともあれば、判断ミスを犯すことも、増長して大失敗することもある。精一杯頑張っても力及ばないこともある。
スパイダーマンの魅力ってのは、そういう、スーパーパワーと余りにも人間らしい弱い内面のギャップなわけで(原作だと、アクションしながら物凄い多量のモノローグでグチやセルフ突っ込みしてるし)。

やっぱり今回の映画では、エイリアンコスチュームは余計だったかなーと。
ノーマルコスチュームで、完全に正気を保ったままで一連のドラマを構成して欲しかったな。全ての失態もそこからの克己も、外的要因(寄生生物)ではなく、あくまでピーター自身の内面に起因するものであって欲しかった。そこいら辺がやっぱり残念。

ちなみに、スーパーパワーを何一つ持たない「身体を鍛えただけのただの人」のブルース・ウェインは、実のところ
「精神が超人」。そして、「精神が常人」のくせにブルース・ウェインの真似事をしたせいで、人生色々狂っちゃったのがアイアンマンことトニー・スターク社長。いや、愛してますけどね、アル中社長(笑)。こちらの映画版も不安半分期待半分です。


スタン・リー先生、今度はセリフ付 16/05/07

『スパイダーマン3』を観てきたわけですが。
感想は・・・びみょ〜。
原作と比べすぎるのもなんなんだけど、グウェン・ステイシーをあんなアテ馬に使って欲しくなかったってのが正直なとこ。
映画版のヒロインはMJ決め打ちだから、原作の「人間関係がどう転がっていくかわからないグルーヴ感」ってのは無いものねだりなんだけど。

原作のピーター、MJ、ハリー、グウェンの四角関係のドラマってのは、「スーパーヒーローものの特殊設定」抜きでも成立する、リアルな共感を呼ぶ話なんだよね。
当事者間に悪意がなくとも、ちょっとしたタイミングの悪さや気持ちの微妙なズレ、決して責められない誰にでもある未熟さで、どうしようもなく人間関係が壊れてしまったりする、青春のやるせなさ全開の物話。それに「グリーンゴブリンの作意」や「エイリアン・コスチュームの精神への影響」なんて余計な理由付けをすると、ちょっと本質をはずれちゃうんじゃない?

敵がサンドマン、グリーンゴブリン2世、ヴェノムと盛り込みすぎで散漫になってるし。

でもまぁ、相変わらず、ピーター君の空気読めないダメっこダサ坊ぶりの描写は上手いよね。2の「青春謳歌シーン」のイケてなさ加減もたいがいだったけど、今回のあからさまなツッコミ待ちの「ちょい悪ピーター」は、もう(笑)。流石オタク監督。


あと、上映前の予告編でTF300が流れて、心穏やかじゃなかったわ。
TFはネットにあがってるのと基本的に同じなんだけど、劇場で改めて観ると・・・キッツイわ。もう、いっその事、オリジナル版とは縁もゆかりもない人気俳優を声優起用してくれた方が、余計な未練を持たずにすむから好都合って気になってきたわ、最近。

300の方は予告映像見て燃えたんだけどさ、ナレーションで「フランク・ミラーのグラフィックノヴェルに着想を得て」とか言ってるのにズッコケた。「原作:フランク・ミラー」で何故いけないの?アメコミ原作ってバレると観客動員に悪影響があるから?(苦笑)