珠玉の駄文集 その三十四
イソノ武威 a.k.a. ITOMARU
乙女の永劫回帰 10/05/07
ハーレクイン話のついで。
HQ系で書いてる作家で、私が最近ハマっているのがエリザベス・ローウェルElizabeth
Lowellさんです。
この人の書く話ってのが、まあ、痛〜い物語でねぇ。痛いというか、「痛ましい」って感じ。
ヒーローは、愛を信じない詩人の魂を持つヴァガボンド。
ヒロインは、そんな男に生涯一度の愛を捧げつくす殉教聖女。
ヒロインが味わされる肉体的・精神的苦痛に、「精神的SMなのかっ!これはっ!ぬおおぉ〜っ!」と痛キモチ良さにのたうちながら読むのが通。
ああ、私ったら何故好きこのんでこんなツラい本を読んでるのかしら。でも、なんかコレって、すごく慣れ親しんだ感覚なのよね。何だっけ?・・・と考えたら、思い当たりましたよ。『愛と誠』だよっ!
ハッピーエンド版『愛と誠』なんだよ、ローウェルは。
うぅ。そういえば、私が初めて雑誌連載をリアルタイムで読んだ梶原作品が『愛と誠』だったのよね。梶原恋愛ものとしては、『斬殺者』や『恋人岬』の方を評価しているんだけど、刷り込みって怖えぇわ。
というワケで、エリザベス・ローウェル作品をコミカライズする際には、ながやす巧先生の作画でお願いします。
・・・だめですか?ながやす先生、原稿料高いし寡作だしね(アシ使わず全部一人で描いてるからなー)。
HQのコミカライズって、女性作家じゃないとダメとかいう決まりがあるのでしょーか?
余談ですが私、小学生の頃はながやす先生は女性作家だと信じていました。愛お嬢さんの流れる黒髪とか、ハコひだスカートの緻密な線とか、あの時代の少年漫画としては、信じられないくらい美麗で洗練されてたからねぇ。突出してた。
マガジンの表紙で、冬木立の中で蝋燭を持った愛お嬢さんがたたずんでるイラストの時があったんだけど、絵だけ見たら「少女フレンド」かと思うくらいリリカルで繊細だったわ。で、その絵の下に入ってる文字が「謎ふかまる世界の円盤怪事件」だったりするのがマガジン魂なんだけど(大伴昌司先生、敬愛しておりますです)。
画業四十周年記念くらいに、ながやす先生の豪華イラスト集出して欲しいなー。
結局、梶原一騎先生の掌の内から逃れられない自分を思い知った私であることよ。
乙女のカルチャーショック 07/05/07
・・・やべぇ。Harlequin
Ginger Blossom Manga のあまりの味わい深さに目が離せねぇ。
そもそも何でシリーズ名がGinger Blossom(生姜の花)なんだろう?何か寓意があんのかしら?
その後、あのイカした装丁をオリジナル版とつき合わせて見たのですが、うぁ。破壊力あるわぁ。
なんかもー、漫画家になんか恨みでもあんの?というレベルの仕事っぷりだよな。
気の毒大賞は、やっぱり牧あけみだろうか。
オリジナル版が漫画絵のカバーじゃないんで比較できないんだけど、Misunderstood (『恋のプロモーション』 作画・しめの
つかさ)のカバーアートの塗りもハンパねぇよ。制作所要時間10分切ってんちゃう?ヘタな色塗りをするより、線画をオシャレっぽくレイアウトした方がよっぽど良いのでは。
訳あってオリジナルのカラー絵が使えないにしても、本編からカバーに使うコマをチョイスするセンスがパンキッシュにも程がある。こいつ等、少女漫画絵の良し悪しの判断がつかないのか?でもHQはともかく、ダークホースは散々manga出版やってるし。
で、ちょっと検索してみたら、なんか初期に発表された試作版(?)のカバー絵は結構マトモだったらしい。
A
Girl In A Million art
by kako Itoh と、Response art by Takako Hashimoto
現在販売されているバージョンは、
Harlequin
Pink: A Girl in a Million TPB と Harlequin
Violet: Response TPB
え〜!初期版の方が圧倒的にいいじゃん〜?!
ちなみにResponseのオリジナル版、『架空の楽園』のカバー(プリンセス読者時代、橋本多佳子は好きだったんだよな。買ってみようかな?)。
コンペの結果、最終バージョンの方が評判が良かったとかいうことなんだろうか???
わかんねー。マジわっかんねー。
まぁ、Dark Horse社 の翻訳mangaといえば、物凄く力を入れているはずの士郎正宗作品でも平気でいい加減な訳をやってたり、ORIONノートのテキストに至っては、訳者が知識不足でわかんない文章は平気で数行飛ばしてたりというアメリカンな仕事振りだったしな。
mangaブームとかいっても、やはり溝は深いということで。
(でも、翻訳出版してくれるだけマシだよね。アメコミの邦訳状況なんてさぁ・・・涙)
乙女の吹き溜まり 04/05/07
今年の星雲賞コミック部門で『妖精国の騎士』に大賞とらせたいなぁ。
そして、中山星香大先生には、贈呈式でロートルSF者の選民思想丸出しなスピーチをして、今時の若いSFファンをドン引きさせて欲しい。
実現したら、向こう二年くらいはSF者イジメの格好のネタとして楽しめる物件だよ(なつかしき青春時代、嫌がるSF者相手に『さよならジュピター 』の話題を、しつこくシツコク×∞ふり続けて、どつきあい寸前までいった甘酸っぱいメモリーのある私)。今年はワールドコンと同時開催だし、外人オタクの眼前で、日本SF界の鬼首村並のムラっぷりを見せ付けて欲しい。
*
ところで、ハーレクインの漫画版を出している宙出版から六月に新雑誌が創刊されるそうな。
タイトルは「ロマンスティアラ」 。
どうやら、ハーレクインコミックスがそこそこ売れたので、HQ社に原作料を払わずにすむ同一路線のオリジナル作品で商売してやろうという魂胆らしい。
執筆陣は恐らくHQコミックスの作家が中心になるのでしょう。現在発表されているのは、巻頭カラーが真崎春望だっつーことだけだが、当サイト的に気になるのは、いがらしゆみこ大先生は参加すんのかな、というトコだ。しかしよく考えたら、いがらし大先生は原作無しでは漫画を描けない御方なので、オリジナル路線は無理だろう、多分。
もひとつ興味津々なのは、中山星香大センセーも参加したりするのかしらってとこだ(モネ仲間の真崎は参加決定だし、碧ゆかこ・冬木るりか・姫木薫理その他、秋田系作家が大挙HQ参入しておるしね)。
最近、本家本元のHQ社からもコミカライズが出始めて、しかもその執筆陣が宙と丸かぶりしているのに驚いたのだけど、裏で編集者の引き抜きとか裏切りのドラマとかがあったんでしょーか(わくわく)。
HQ社の方でも、宙を経由せずに直接manga商売をやりたい意向なんすかね。そして軌道にのったら宙を切るつもり?
本国HQ社では宙版のmangaを翻訳出版してるんですが、このやっつけ感丸出しの装丁には一見の価値があるかも。
これホントにプロのデザイナーの仕事?オフィシャルなのに海賊版にしか見えねぇよ!と思って調べてみたら、英語版の制作はDark
Horse社が担当してたのね。mangaの翻訳出版ではベテランの癖に、この有様って・・・安く使われちゃったの、ダークホース?
(公式サイトでわざわざmangaの読み方について解説しているのは微笑ましいけど。このシリーズはミラー印刷せずに、オリジナル通りの右→左読みで、しかも書き文字もそのまま。やはり手抜き?)
余談ですが、宙のハーレクインコミカライズに関しては、いささかの遺恨があるのですよ私。
学生時代に先輩から借りてハマった『誘惑のときTime
of the Temptress』(ヴァイオレット・ウィンズピア Violet
Winspear 作)という作品があるのですが、これがビアフラ内戦を舞台に描いた、『アフリカの女王』 へのオマージュ溢れる傑作。後日古本屋を回って購入した本が、未だに書架に納まってるくらい好きな作品なのです。
ヒーローはハンフリー・ボガート似の無精髭の40男で、バツイチで19歳の息子がいる傭兵。
ヒロインはハタチそこそこで、修道女見習いの清純なお嬢様。
この二人が戦火のナイジェリアの密林脱出行をするうちに恋に落ちる話。
それがいつの間にかコミカライズされていたと知り、古本屋で単行本を手にとりカバー絵を見た私は、20秒ほどの硬直の後そのまま無言で棚に戻したのでした。
・・・このまつ毛バサバサでくるくる巻き毛の長髪やさ男、誰。
まさかこれがボガート似の40歳の野戦部隊少佐だと言い張るつもりじゃないだろうな?!
それ以前に、ビアフラ内戦ネタをこんなキラキラちゃらちゃらした絵で漫画化しようたぁ、いい度胸だな。
作画担当者は選ぼうよ、宙!!
佐伯かよの先生あたりに描いて欲しかったよ・・・。
少女漫画家、恐るべし(未だに中の絵を確認する度胸はありません)。
乙女の倫理 24/04/07
Top Referrals By Keyword から、また訪問者の無言の圧力を感じるんですが〜。なんか、検索キーワードに「シェンドラ」ってワードが入ってるのが増えてるよ?
そ、そーね。「映画版TF吹き替え固有名詞英語版に統一ガチ確定」の報に自暴自棄になっている今の私には、丁度いい気分転換かもね。ううう(滂沱)。
てな訳で、立ち読みしてきました、プリンセスゴールド。
で、感想。感想ね、はいはい。えーと。・・・・・・・・・。なんつーか、「漫画力」が著しく落ちてねーか、この人。長編を構成する能力はなくとも、中短編に関しては今でもイケるのでは、と思っていたけど、こりゃダメだ。
あのカップルに関しては、恋愛ドラマを盛り上げる為の「障害」は豊富にあるはずなのに、それは軒並みテキトーに処理されて、普通にタルいラブコメになってるんだもんなぁ。ショボ過ぎて突っ込む気もおきねぇや。
で、読んでて色々な意味でイヤ〜な気持ちになったのが、今回のシェンドラの決め台詞(?)「国も国民もどうでもいい。あなたを失うより死んだほうがマシ(大意)」。
以前、シェンドラの成長ドラマを褒めた文章を書いたことを激しく後悔。私、中山だいせんせーを買いかぶっていましたわ。
「いわゆる少女漫画読者は、自分の身の回りの感情生活にしか興味がない。そのような近視眼的な読者に配慮しなければならないせいで、私の創作活動はハンデを負わされている(大意)」
・・・というような意見を何度も何度も何度も披瀝されてきた中山大先生の価値観から判断すると、↑の義務より色恋優先発言は、「いわゆる少女漫画読者の嗜好に合わせたおもねり」であり、シェンドラというキャラクターを貶めて格を落とす作業であるわけだ。うわぁ(嫌)。
しかし、公的な義務より私的感情優先、というのが少女漫画のカタルシスであることは事実ではある。で、以下怒涛の雑談に突入。
*
『アルカサル完結編』目当てにPG前号を購入した私は、なんでか冬木るりかの『アリーズ2』に引っかかり、そのまま旧作を揃えて一気読みしてしまったのでした。
結論から言うと、面白かった。巧いとか凄いとかいう作品ではないが、基本フォーマットがジャンプのバトル漫画なので読みやすい上、何より自分の鉱脈を掘り当てた新人作家が手ごたえを感じながらノッて描いてるのが伝わってくるのが好もしい。やっぱり漫画って、勢いが大切なんだなぁ。てゆうか、レア様萌。
この話の基本的な仕掛けは、以下の通り。
彼女を獲得した者に無限の力を与える事が出来るが、当人は非力かつ無自覚なヒロインと、前世からの絆に結ばれて彼女を熱愛し、影から守り続ける運命の恋人。無限の力を得るためにヒロインを狙う敵役。ヒロインを愛し守るために彼女の力の覚醒を阻害する者。ヒロインを災いの元として抹殺しようとする者。それぞれの思惑で超能力バトル勃発。
で、私が非常に感心したのは、この「ヒロインを災いの元として抹殺しようとする者」をめぐるエピソード。
理性的な正義キャラが、「ヒロインに罪はないが、彼女の存在そのものがいらぬ争いのもとであるのだから、気の毒だけど世界平和のために死んでもらいましょう」と判断して毒を盛る。彼女の恋人が駆けつけたときには時既に遅し。
嘆き悲しむヒーローくんに向かって、「自分だってこんな手は使いたくないが、世界全てと彼女一人を比べたら、どちらが大切かわかりきったことだろう」と説く正義くん。
それに答えてヒーローくんは言いますね。「どちらが大切かなんて、考えなくたってわかってる。それは彼女だ。彼女のいない世界なんて意味はないんだ」と。
で、嘆き悲しむヒーローくんの力が暴走して、やべぇ、これじゃ下手すると今すぐ世界が滅ぶ。将来の為に禍根を取り除こうと、いらん手出しをして藪蛇なことになってしまった!・・・という展開。
うわぁとんでもねぇと思いつつ、いやぁ、これこそが少女漫画のカタルシスなんだなぁと、妙に感心してしまいました。無力でちっぽけな一人の少女が、恋によって世界そのものと等価になるのだ。少女漫画恐るべし。
「恋」によって世界がくつがえされる快感、くびきをかなぐり捨てた主人公たちのエモーションが炸裂するカタルシスを味わせてくれるのが、ロマンスの真髄。良質の恋愛文学には、センス・オブ・ワンダーが伴うのだ。
今回のシェンドラの恋物語に全くカタルシスが感じられなかったのは、作者がこの「少女漫画のセンス・オブ・ワンダー」を侮っているせいなんだろうな・・・。
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ところで、至高の恋愛文学といえば『源氏物語』。
以前、江川達也(この人も最近すっかりアレですが)の描いた桐壺の巻を読んで思わず膝を打ったのが、「帝と桐壺の更衣の恋は不倫である」という注釈。不倫といっても、「既婚者との性交渉」という意味ではなく、「人倫にそむくこと」「反社会的行為」という意味ね。
平安時代の天皇の「公務」は、「有力な父親を持つ女とsexすること」であり、そうすることによって権力機構を安定させていた。後宮に美女数百人とかいっても、実態は、目の前にいる美姫とヤってるのではなく、その女の父とヤってるようなモンで、そうそう羨ましがる立場でもない。
ところがそんな帝が「父親のいない女」である桐壺の更衣と「恋」をしてしまう。
好きな女と一日中一緒にいたい、彼女と集中してsexしたいという「恋という私的な感情」を優先させて、上記の「公務」をなおざりにするようになる。
ずーっと「帝という記号」として生きてきた人が、恋によって自我に目覚めてしまう訳だ。
好きな女と一緒にいたいと思って何が悪いの?オレの心と身体の問題でしょ?何で皆して寄ってたかってオレの幸せ邪魔すんだよぉ!・・・と、遅めの思春期を暴走させる帝に対して、世間の非難は集中する。「世が乱れる」「嘆かわしい」「恐ろしい」と。どちらもごもっとも。「恋」と「社会」は本質的に対立する宿命なのだ。つーか反社会的でなきゃ、本物の恋とは言えない。
究極の恋愛文学である『源氏物語』の導入部にこういうドラマが置かれているのは、やっぱし「必然」なんだろうな。
「恋とは既成の社会を破壊するような恐ろしいものである」という認識を表明して、そのような恋の結実として生まれてきたのが、主人公の光源氏。
で、物語の前半で源氏が恋するのは、大半が「父親のいない女」で、メインヒロインの紫の上にいたっては、幼い頃に実父から強奪されて生家との絆を断ち切られてる。徹底してるなぁ、紫式部先生。
そして「有力者の父を持つ女」に手を出した光くんは、既成権力から攻撃されて失墜。隠遁先で出会うのが、やっぱり既成社会からはみ出した明石の入道で、この二人が結託して、後々自分たちを放逐した連中を追い落とすことになる。追い落とすったって、別に武器を取って革命をおこすわけじゃなく、それぞれが「自分の娘」を手駒として利用して権力を手にする訳ですが。
反社会的な恋をする若者が、挫折を期に、娘を利用して権力を得るような大人の男になり成功するが、やがて過去の自分に復讐されて大切なものを失い、しかし内面的にはボロボロでも公的には「栄華の極み」なので、彼の不幸を理解してくれる相手を持ちえず、孤独にのたうつハメになる・・・って、よく出来たストーリー構成だよなぁ。そして、作者の紫式部先生の「社会(男)に対する怨念」がビンビン伝わってくるなぁ。怖いなぁ。
恋というミニマムな感情をモチーフにして、でかいテーマを語ることもできるんだよなぁ。
すごくでかいハコを用意して、ミニマムな感情問題ばっかりやってるグイン・サーガとか高河ゆんの漫画みたいなケースもあるけどね。
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更に余談。「恋をする資質のない女が恋をしたらどうなるか」という問題を、妙なリアリティで描いた「少女漫画」、横山光輝先生の『クイーンフェニックス』 について。
1975年に(最近何かと話題の)週刊少女コミックに連載された『クイーンフェニックス』 は、H.R.ハガードの『洞窟の女王』 を下敷きにした作品です。導入部はこんな感じ。
古代エジプトのさる王朝で、僧侶・カクラテスと女王が禁断の恋に落ちた。
穢れた男女に天罰を下すべく、神は一人の醜い奴隷女・バステトに命ずる。 「二人を殺せ。さすればお前に永遠の美と永遠の命をあたえよう」と。
神命をはたすべくカクラテスに近づいたバステトは、一目で絶望的な恋に落ちてしまう。
彼らを殺し、代償として永遠の美と命を得たバステトは血だまりの中で誓う。死者はいずれ必ず再び地上に蘇る。私は貴方が生まれ変わってくる日を待ちましょう。
時は流れて舞台は現代の日本に移る。日本人カメラマン・加蔵春彦は、不思議な呼び声に悩まされるようになる。加蔵は日本に帰国途中の機内で美しい人妻・鳩子と出会い、運命的な恋に落ちるが、この二人こそかつて神罰により殺された女王と僧侶の転生した姿だった。
ますます強くなる呼び声に誘われて、加蔵は妹を伴いアフリカの奥地に旅立つ。そこに待ち受けていたのは、永遠の命を生きる美しき女王・バステトだった・・・。
面白そうでしょ?面白いんですよ。面白いんですが、しかし、その面白さというのが、上記の文章を読んだ女性が脳裏に描いたであろう種類の面白さとは全然違う面白さなんですよ。
この本を読みながら私、何度心の中で突っ込んだことか。「横山先生、面白いっす。めちゃめちゃ面白いっす。でも、これ少女漫画じゃありませんから!」
この作品が少女漫画じゃない理由のかなりの部分が、主人公のモテ男くんの性格設定。こいつ、「少女漫画の男」じゃないんだ。リアルな男なんだよ。
「生まれ変わってもまた愛し合う運命の恋人たち」 って設定の話なのに、この男「ラブユーフォーエバー」じゃないんだ。自分の身近で尽くしてくれる女に対しては、すぐ気持ちが傾いちゃうんだ。何の悪気もなく。
いやまぁ、私もそれなりに人生経験積んでから読んだんで「そーゆーもんだ」と思うけどさ、70年代の夢見る乙女達はどう受け止めたんだか(笑)。
で、そんなカクラテス=加蔵に永遠の愛を捧げるバステト様。
コンプレックスの強いブスが後ろめたい方法で美女に変身する・・・となると、鈴木由美子の『カンナさん大成功です!
』みたいな内面と外見のギャップのドラマになったりしそうなもんだけど、そういうの、一切ありませんから。
バステト様は悩みません。「本当の私」とかいう益体もないものに拘泥したりはいたしません。自己憐憫とは無縁の御方です。
自分の意思と行動によって美貌という武器を手に入れた以上、その武器を使って己の欲するものを手に入れるべく、孤独に耐えながら粘り強く待ち、着々と行動し、己の運命と絶望的な戦いをするのだ。タフだぜ。
作中で重点的に語られるのは、揺れ動く女心じゃなくて、バステト様の帝王学。情を排し恐怖政治をしくのは、残酷行為を楽しむ為ではなく、女王としての大局的な視点による判断から。
そもそも彼女が美貌の女王となったのは、神の命に従って、秩序を守るために恋という情で暴走する男女を抹殺した結果でした。つまり、「恋」と決定的に対立する「社会秩序」の側を体現するキャラクターなんですよ。
恋を圧殺し秩序を守る立場の女が、リアルな男に恋をするんです。うまくいく訳ぁないですわ。
「少女漫画の価値観」と真っ向対立する立場の女がヒロインで、「少女漫画のヒーロー失格」のリアルな男がヒーローという、実にとんでもない「少女漫画」なのです。横山先生、アナーキーにも程があります。
結局、バステトの矛盾を象徴するがごとく女王国は崩壊し、恋の成就にも失敗するのですが、それでも挫けないバステト様。タフだぜ。
でも、 追い詰められてもバステト様、理性的で計画的。恋愛バトルでそれはむしろマイナスっすよ、女王様。もっと情に訴えなきゃ!男にすがり付いて涙浮かべて上目遣いで迫らなきゃ〜!デレの足りない女王様の姿に、ちょっと身につまされたりなんかしてな(笑)。
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・・・てな訳で、中山大先生がダレた態度で少女漫画をナメきって書いたセリフには、本当は非常に深遠な問題が含まれていたのだよ、というお話でした。
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